牛窓朗老通信

窪田聡 牛窓朗老通信からの抜粋です

窪田聡の近況報告

NO.51/2016.6.1 より抜粋  人間卒業 届いた便りの一節に<来年人間卒業となるわが身にとって・・・>とあった。やや考えて、卒(卆)寿のことだな、と判った。『通信』前号に触れて<「アッタリ前田のクラッカー」じゃないが、段々年をとり力がなくなっていく過程が、この通信にみえて「わが同類よ」と嬉しくなってしまう>ともあった(労働者文学会・青木実)。そういえば彼の前便には「オレは躍寿だ」とあったなあ。 酒・たばこ・ストレス どさ回りのおり、「その歳の割に元気だね」と言われ訳を尋ねられることが多かった。「歩いたりしている?」と訊かれ否定し、「酒とたばこの故かな」と答えると話はそれまで。「ストレスがないこと」と付け加えるとたいがいは大きく頷いた。そのたばこだが、やはり喫煙者の旧友から届いた便りにこんな一節があった。<モーツアルトもベートーヴェンも煙草を吸った/ゴッホもルノアールも煙草を吸った/漱石も鷗外も煙草を吸った/一葉も晶子も煙草を吸った/ルーズベルトもチャーチルも煙草を吸った/そしてヒトラーは煙草を吸わなかった>(開成悪童連・東顯)。
蜷川幸雄のこと 5月12日死去。早い。惜しい。彼とは中学・高校でいっしょだった。その後もいくらかの接点があった。彼の「私の履歴書」(『日本経済新聞』2012~13年に29回連載/切り抜き提供:開成悪童連・岡本易)にこんな一節がある。<開成の同級生に「かあさんの歌」を作詞・作曲した窪田聡がいた。うたごえ運動にかかわり、卒業後家出して新聞配達の住み込みになった。うたごえ運動は平和の歌やロシア民謡を合唱する社会運動で、ぼくも窪田に誘われて集会に参加したことがある>。なお、連載は担当記者による聞き書き。付録に、蜷川が(そして窪田も)まだ青かった頃の"対談"を同封します。合掌。
NO.50/2016.4.25 より抜粋   コンサート 2月=「『かあさんの歌』60年コンサート」(牛窓)。いつもの「歌のある風景」は30~40人の入りだが、この日は90人近くが集まった。よくまあ詰め込めたものよ。花が届き、酒やケーキの差し入れがあった。3月=「歌のある風景」(牛窓)、「窪田聡コンサート」(出雲市)。 Dio 50ccのバイク。冬の間はほとんど乗らず、そのせいかアクセルの具合が悪くなり修理に出した。1万数千円掛かった。修理担当者が「(その歳で)まだ乗るの?」と言ったとか。まだ乗るつもり。一台目・二台目は4万kmを乗って廃車にしたが、この三台目は数年経つがまだ1万kmにも達していない。たまに"Dio散歩"もせいぜいが30km。4万kmが先か、危なくなって免許返上が先か。
NO.49/2016.2.20 より抜粋   また一年 年が明けたと思ううちにもう2月半ば。暖冬と言われていたのは暮れまで。ここしばらくの寒さは答える。お互いに体に気をつけて、と思う。また一年を無事に過ごしたいもの。今年もよろしく、です。 暮らし なんの変哲もない毎日です。「9時ー5時」(就寝ー起床)というながらくの習慣がくずれて、床に入るのが11時過ぎることもままある。起きるのも8時前後が多くなった。朝洗顔はせずは相変わらず。髭は剃る。電気かみそりはフィリップス、顔にあたる面が三つに分かれているなかなかのすぐれもの。買い替えはすれど数十年おなじ機種。ジーパンの着替えは立ったままで大丈夫、老衰を計る目安のひとつにしている。体重はやはり増えず55㎏を割る、主食そうめんの故か。ときどき足踏み機に乗ったりはするが、健康にはいたって無関心。酒もたばこも相変わらず。でも、この冬は風邪もひかずまあまあ元気です。相棒おしのは、毎朝のラジオ体操と牛窓神社に上り下りする30分近くの歩きを欠かさず続けていていたって元気。玄米食も週一のヨガ続けている。食事・ワープロ担当は小生。掃除・洗濯・畑仕事担当はおしの。変わり映えのしないふたりの暮らしぶりです。
NO.48/2015.11.1 より抜粋   乱舞 9月の「関東・東北豪雨」直後の11日、牛窓は久方ぶりの晴天。日ざしが懐かしかった。外に出ると赤とんぼの群れが。それこそ"乱舞"といった趣。はじめての見物だった。それにしても8月中旬からの天候不順が長かった。 反応 前号に触れての便りいくつか。<エアコン設置。瀬戸内の凪ぎの蒸し暑さはからだに悪いヨ>(開成悪童連・東顯)。<「ふんど」にはびっくりしました。言葉としてあるのですね><人生の一区切り、二区切りの用意おさおさ怠りないものにも刺激されます>(労働者文学会・清水克二)。<ことばあれこれ面白かった。はじめて出会う回文ばかり>(牛窓・廣畑一男)。<打ち止め、終刊、解散、最終回などの声や文字が、あちこちから届きます。感慨あり、です。「とんがるなと言われてもなお猫じゃらし」「ジッと鳴いて辞世とせしや夜の蝉」>(佐渡・加藤廣文)。ワープロA・Bの報告を読んで、牛窓の知人から「書院」提供の申し出が。パソコンと併用中ゆえ"いずれ"ではあるが心強い限り。
NO.47/2015.9.20 より抜粋   けじめ? 9月4~6日、<全国アコーディオン合宿>で伊東。37回(37年)になる。小生の年齢(9月で80歳になった)が話題となり"継続"が討議され、40回(2018年)を目標とすることに。6日、下田の曽村宅訪問。5~6年になるが今年で打ち止めということに。7日、東京で<開成悪童連・秋の集い>。「悪童連」のつながりのもと『開成悪童連通信』(季刊)は、小生のどさ回りに合わせての「春の集い」で来年4月発行のNO.48で終刊と決まっている。その<どさ回り>(4月)は来年で"一応"の打ち止めの予定。ついでにいえば、<牛窓再発見の会>は30周年を迎える2017年いっぱいで解散が決まっている。けじめが必要というか、だらだらはよくないと思う。歳のせいかな。コンサート<窪田聡・歌のある風景>を含めた音楽活動は"生涯現役"と思っているのだが(この『牛窓朗老通信』も)・・・。 エアコン 過ごしやすい季節になってからつい先日、エアコンを取り付けた。高血圧で通院していて親しい医師に説得された。扇風機は皮膚の表面温度を下げるが体内温度は下がらない、気候変動の影響で従前よりは高温の夏になっている・・・とかなんとか("反原発"もいいけれど、ともいわれた) 。という小生の話を聞いておしのが購入を決断した。冬のオイルヒーターの電気代よりも安くつく、というのも決め手になった
NO.46/2015.5.5 より抜粋   どさ回り 4月4日から14日、東京から信州を通り日本海へ抜け北陸経由で帰窓した。頭の名古屋、尻の大阪をはぶいて例年より短い11日間だったが疲れた。帰り着いてからの三日間、10時間近く寝た。旅のはじめはぽかぽか陽気でコートを脱ぎセーターを脱ぐなどしたが、旅の途中群馬・沼田では雪降りにぶつかった。長野も寒かった。そのせいか、帰窓してから数日鼻声がつづいた。今のコースでの「どさ回り」は来年で打ち止めにしようかと考えているが・・・ 『あの人、この人』 副題は"牛窓人物誌"。<牛窓再発見の会>25周年記念企画として2012年に第1集、今年4月に第4集を発行した。8人の聞き書きをまとめた小冊子。来年第5集を発行して完結する。再発見の会は30周年を迎える2017年いっぱいで解散にすることが決まっている。それまでに会計残高を0にするのが目標だが、この小冊子発行でなんとか使い切ることが出来そうだ
NO.45/2015.3.5 より抜粋   健康具合 おしのは昨年秋、胃癌術後5年の検査を受け「もう来なくていい」といわれた。毎日30分の歩きとラジオ体操を続けている。小生は高血圧の薬は飲みつつも"休肝日"は一日もなしの暮らし。ジーパンの着脱をたったままで出来ることが自慢。原付Dioの走行距離はさすがに減った。一時期の"9時(就寝)~5時(起床)"は崩れて、だいぶ夜更かし族になった。しかし、おしのに「寝過ぎ」といわれるが、睡眠時間は8~9時間。まあまあ順調な日々ではある。おしの玄米・小生そうめん、の生活は変わらず。食事支度は小生、も変わらず。 映画 <映画評を書くのが面倒なら、5・4・3・2・1あるいは☆☆☆☆☆~☆では如何>(開成悪童連・東顯)。彼にはだいぶ前から観た映画へのコメントをせっつかれていた。せめて、ということで◎〇△×つきで1・2月に観た映画を記す。1月=バツイチは恋のはじまり△/馬々と人間たち〇/羅生門△/アニー△/。2月=ニューヨークの巴里夫〇/百円の恋〇/マエストロ!〇/サンバ△/太秦ライムライト〇。
NO.44/2015.1.15 より抜粋   いつもどおりの 年賀状出さず大掃除せずの年が暮れ(届きものはいくつか)、おせち料理なし初詣なしの年が明け(年賀状はいくつか)、いつもどおりの暮らしぶりの年末年始だった。小生とおしの風邪もひかずいつもどおりの体調で過ごすことができたのがめっけもの。 大まかな一年 日音協(日本音楽協議会)北海道支部が年に一度発行する『音楽運動』。資金稼ぎのために労組などからの新春祝賀広告を特集したもの。そこに1頁を提供され1993年から「瀬戸内・牛窓からの報告」を寄稿している。以下、再録する。

小生の2015年のスケジュールを記そう。◇窪田聡歌のある風景 春シリーズ=3月・5月/秋シリーズ=9月・11月/最終日曜日/自宅に隣接した小ホール<自遊空間DON>で開催。◇窪田聡どさ回り 4月4日~15日/東京ー埼玉ー群馬ー長野ー新潟ー富山を回る。東京で<労働者文学会総会>、埼玉で<開成悪童連春の集い>ほのか長野・新潟・富山でコンサート。あとは旧知たちとの呑み語り。◇全国アコーディオン合宿 9月4日~6日/伊東市/毎年9月第1金曜日~日曜開催、今年で37回となる。◇定期的スケジュール<歌工房ふう>レッスン=毎月2回/<牛窓再発見の会>例会「勝ちゃんの市政報告」=年4回、いずれも会場は<自遊空間DON>。◇ほかに「出前コンサート」がいくつか。今のところは、2月=よしむらカフェ(香川)・11月=金剛寺(岡山)・12月=うたのひろば(広島)。あとは白紙。暇なもんです。月5~6回、岡山市に映画を観に出かけたりする。週に一度は市会議員の"勝ちゃん"の店<寿司勝>で呑む。月に一度親しい夫婦との呑み会。彼らふたり、鈍工房ふたり。まだまだ真っ白な時間がたっぷり。読書、ワープロ打ち(原稿・通信・チラシなど)、クイズ(数独)、庭と周辺の草むしり、バイクDio散歩、月いちの通院(高血圧投薬で内科、歯周予防で歯科)あたりでなんとなく日々が過ぎていく。働いている諸君に申し訳ない。とは全く思わぬが、まあまあ歳相応の暮らしぶりかもしれぬ。が、ときどき「元気ですね」といわれることがある。コンサートなどでたくさんの人たちと接する機会があることで若干気持ちの若さが保たれているのかもしれぬ、と思う。北海道の諸君に「Botaさんがまだ現役らしいから、がんばらなくちゃ」と思ってもらえるなら小生の存在価値もあろうかというもの。でも、そろそろこの頁、おしまいにしてもいいのでは・・・。
NO.43/2014.10.10 より抜粋  反応いくつか・・・前略・・・ 〈牛窓通信の作成に欠かせない「書院」の調子が悪いと知り・・・ネットオークションで・・・セリ落とすことができましたので、お送りいたします〉(東京・綾乃ひびき)。なんと、ワープロが届いた!もうひとつ、和菓子の贈り物も届いた(長野・小林光井)。 後日談&注釈 「書院」は早速試し打ちしたが、印字の際に紙送りができない。その旨書き送ったら、修理する業者に出すので送り返せと。しばらく経って〈ネットのオークション市場で、整備済品をいうカテゴリーのものの中から、程度の良いものを吟味して入手する方が良いと判断し、この商品を新たに手に入れました〉という添え書きとともに「書院」が送られてきた。わりと新しい機種のWD-M800。かなりの出費のはずだろうが、とりあえずは"好意甘受"。送り主「綾乃ひびき」は歌い手。かつて『かあさんの歌』をCDに収録し、『あたりまえの地球』もレパートリーに加えてくれている。心優しい女性だが(近ごろ「女子」ばやりだがどうにもなじめない)、いちど牛窓を訪れたときは姫路からレンタカーを走らせて、という行動力もあわせ持っている。和菓子の「小林光井」は小生の"懐かしい人"のひとり。戦争中疎開した先の小学校の同級生。"懐かしい人"は三人いて、ひとりは高校時代に投稿文芸誌で知り合った文通相手。もうひとりは開成悪童連のひとりの従妹で、家出した直後の"青春時代"に親しくした人。三人とも「通信」の読者(の筈)[男の方が"昔"をひきづるのかなぁ・・・」
NO.42/2014.8.18 より抜粋   まあまあ元気です 通信前号は4か月前の発行。だいぶ間があいた。そのせいか、「元気?」「どうしてる?」といったたぐいの連絡が数本入った。元気はつらつ、とはいかぬまでもまあまあ元気です。〈窪田聡・歌のある風景〉は7月から今年後半のスケジュール。月2回の〈歌工房ふう〉レッスンも、「勝ちゃんの市政報告」「牛窓今昔、いまむかし」という3か月ごとふたとおりの〈牛窓再発見の会〉例会も、順調にこなしている。映画館通いも〈自遊空間DON〉でのDVD上映もけっこう多い。三食そうめん、毎晩芋酎一合の湯割りも相変わらず。日本酒だと二合。体重は52.3㎏前後、太らないのが悩みの種。といったまあまあ元気ですの暮らしぶり。 映画 8月に観たのは「人生はマラソンだ!」(オランダ)「マダム・イン・ニューヨーク」(インド)「パガニーニ」(ドイツ)。今夜の「銘木バー」(通信前号参照)にあわせて「マドモアゼルC」(フランス)。月末までに「みつばちの大地」(ドイツ・オーストリア・スイス)「なまいきチョルベンさんと水夫さん」(スウェーデン)を観る予定。
ワープロ ときどきフロッピーを呼び出さなくなったりと、いささか前途不安。三台ある予備の機種も危うい。どなたかシャープ「書院」の心当たりあれば一報を。
NO.41/2014.4.20 より抜粋    どさ回り 4月恒例。旅程を一覧表にして若干の注釈を。4日の名古屋は寒かった。10日の長野も。「春は名のみの・・・」を実感。しかし今年の桜は早い。去年は満開を追いかける旅だったが、今年は行く先々でほぼ満開。東京はもう花吹雪だった。「開成悪童連」は同人9名だが病のため2名が欠席。「労文(労働者文学会)」もいよいよ「老文」に近づいているようだ。総会出席者の半数以上が小生より年上。土屋は思った以上の回復ぶり。娘ふたりと佐渡からの2名を含め10名を超しての真っ昼間の宴会だった。11日の「歌のある風景」ははじめて。従姉妹の住む住宅団地の老人会を中心に90名ほどが集まった。13日の「ほろ酔いコンサート」もはじめて。今村の同級生が中心の「ほろ酔い」よりは「酔いどれ」一歩手前の集いだった。しかし『あたりまえの地球』への反応の鋭さには驚いた。ある"時代状況"を経由した「団塊の世代」の持つ特異性なのだろうか。14日のコンサートはほとんど無意味、そのあとの宴会の格好づけの感あり。飲みながら辛口の注文をつけた。「北村」は「ぴいこ」のこと、判る人には判るよね。12日の「歌のある風景」は「象庵(町田)」主催。今年がNO.8。NO.10まで、ということになっている。「どさ回り」もそのころには打ち止めにしようか、と思っているのだが・・・。 暮らし方々 前項に触れた「開成悪童連」だが、同人の原稿を集めて季刊で『開成悪童連通信』を発行している。小生が編集担当。そのNO.40(2014.4発行)に載せた文章を再録する。◆〈歌工房ふう〉と〈牛窓再発見の会〉に関連したほかは"定例日"のないいたって暇な日々なのだが(いや、高血圧で内科、歯周病チェックで歯科に通っている)、昨年秋ごろから"定例日"がふたつ増えた。ひとつは、毎週日曜夜の「寿司勝」。再発見の会のメンバーで瀬戸内市議でもあるNの店。おしのとふたり、「寿司勝御前」と小皿の料理二皿ほどで呑み、喰い、閉店の8時半には店を出る(車なので、おしのが飲むのは茶)。勘定は3000円前後。もうひとつは、毎月18日夜の「銘木バー」。ある銘木店が貸し出し催場として倉庫の一隅を改造したのだが、そこでの催しのひとつ。主催は女性設計士のY。ここの改造もだが〈自遊空間DON〉の設計も担当した。月一回、18日にだけ開業。本人は「イチかバチかの18日」などといっている。岡山市にあるので、かならず映画を観たあとに寄ることにしている。※これまた昨年秋ごろからだろうか、日ごろは腕時計をはずすようになった。外出時、車に同乗してと腕をする時には嵌めるのだが、いつもはなくても差し支えない。むしろ、ないほうがあくせくせずにすむ。腹が減ったなあ、と作業台の柱にぶらさげてある腕時計を見る。1時だったり2時だったりする。で、昼飯の支度にとりかかる訳だ。昼飯が12時である必要はまったくない。はずす、といえば、眼鏡も普段ははずしている。以前は近視鏡をかけていた。老眼鏡もあつらえた。しかし、左目の白内障の手術をしてからは、まず近視鏡をかけなくなった。近ごろの白内障手術はレンズを埋め込むので遠くがよく見える。老眼鏡だけで間に合った。やがてこれもやめた。眼鏡をはずしていると、レンズの曇りを気にせずともいい、顔をぬぐうのも簡単。近ごろは、外出時や人と会う時だけ眼鏡をかける。それも老眼鏡を◆
NO.40/2013.12.10 より抜粋   反応 『通信』前号にいくつかの反応あり。〈体重減少は栄養失調(懐かしい言葉!)気味のせいではないかな。肉や魚を大いに食うべし〉[開成悪童連・東顯]/〈街角で拾ったことば、いちばん届いたのは御安心処、秀逸でした〉[牛窓・廣畑一男]/〈「汗牛充棟」面白い表現。何事も勉強と例の小学館『日本国語大辞典』を紐解く。まったく余計な事をやらせてくれるぜ。・・・・「空き家の便所」は知らなかった。「便所の火事でやけっくそ」とか「便所で観る月ウンのつき(つき)」なんてあるが、これは面白い!〉[労働者文学会・青木実]/よく身体が動きますね。そして野次馬的感性も冴えていて。妙チキリンな看板、よく見付ける〉[労働者文学会・清水克二]/「おしの」さんをめぐる「ついている」という見立てが朗報〉[開成悪童連・千本健一郎]※到着順 旅の印象 4月の「どさ回り」、9月の「アコーディオン合宿」とついでの数日、以外はほとんど旅に出ないのだが、そのなかで近ごろ感じたことをいくつか記す。  ◇公衆電話が圧倒的に少なくなった。携帯を持たぬ身としては不便極まる◇喫煙場所が更に減った。駅にしろ街頭にしろ。マイノリティーへのまなざしがほしいものだ◇長距離列車では以前からだったが、喫茶店でパソコンを拡げる人が多くなった◇列車から降りるとき倒していた座席を戻す人が増えた◇ジーパン姿が少なくなった。若者たちも(東京でだが)◇喫煙席のある喫茶店では喫煙席の方が混んでいる。結構女性も目につく。
NO.39/2013.11.15 より抜粋   暑さしのぎ その夏だが、相変わらず住居にはエアコンなし(「自遊空間DON」にはある)。室温30~32℃、湿度60~70%でややうんざり。で、映画館にゆく回数が増えた。コン・ティキ/きっと、うまくいく/マリンポリス/少年H/スタンリーのお弁当箱/タイガー/黒部の太陽/ホワイトハウス・ダウン/闇の帝王DON/メリー・ポピンズ。8月は10本、うち4本はインド映画。このほかにDVDをレンタルして自由空間DONで観たりもした。8月14本。〈この五十日は、ほぼひと夏、でもあった。「一日一文」をつづけながら思った。涼を採るのは扇風機の風だけなのだが、ワープロを打っているとさほど暑さを感じない。これは"鎖夏法"でもあるな、と〉(『安堵感/おしまいの記』はじめに)という昨年の夏に比べて、なんとだる~い夏だったことか。 増えない めったに体重計には乗らないが、この夏、風呂上りに計ったら50㎏。愕然。ここ数十年、だいたいは55~60㎏の間を保っていたのだから。前号に〈今年のはじめあたりからか、朝から「そうめん」になった。三食とも〉と書いたがそのせいか?(おしの推測)。米食や肉食を増やしたししているが体重は一向に増えない。先日ジーパンを購入したのだが、ウエストが29→28インチ、73→70㎝に細まった。太っている人がうらやましい。
NO.38/2013.7.5 より抜粋    歌のある風景 今年は1月から奇数月・隔月の最終日曜日開催とした。5月で前半がおわり、7月から後半がはじまる。チラシは前半・後半に分けて年二回の発行・発送となる。以前より客の入りが減ってきて30人前後が多い。毎回のチラシ発行ではないことがいくらが影響しているのか、それともテーマを設定しない"定例"風の内容に吸引力が薄れてきているのか。"定例"のコーナーは以下の四つ。①みんなで声を合わせてうたう〈Sing!Sing!〉②窪田聡の〈音楽談義〉③あたらしい歌を覚える〈今月の歌〉④歌工房ふうの〈合唱〉。まあ、いまのところは、「"しっとり雰囲気"もよし」などと構えている。 暮らしぶり ここ数年は「9時ー5時」(9時就寝・5時起床)だったのが、近頃は「11時ー7時」が多い。昨年夏に50日つづけた「一日一文」の後遺症。夕食時の晩酌のあとワープロに向かい文章を打ち込み、あくる日手を入れる、をつづけたおかげで、それまでのリズムが崩れてしまい元に戻らなくなってしまったのだ。夜9時以降の電話は訃報以外お断り、ももう無効か。もうひとつ変わったのは、食事。今年のはじめあたりからか、朝から「そうめん」になった。三食とも。小生のみで、おしのは相変わらず玄米に味噌汁。炊事担当が小生なので、ふたとおりの用意をするのは別に苦にならない。おかずはおなじもの。 携帯とパソコン には近づかない、と鈍工房総会で2-0の圧倒的多数で決定している、とかねてから言い触らしているのだが、「歌工房ふう」で検索すると、パソコン画面に歌工房ふう・鈍工房・窪田聡に関する情報が流れることになっている。「ふう」メンバーがページ書き込みを担ってくれている。つい先日、知人宅で検索した画面を見せられたが、なかなかの情報量だ。関心のある方はどうぞ。 買い物 運動靴を買い替えた。880円。腕時計も買い替えた。980円。どちらもホームセンター風の店舗で。安いから買うのではなく、安くても用が足りるから買うのだ。食料品は値段の高いほうがうまいのは確かで、近頃は豆腐の購入は一丁38円から98円→128円に格上げしている。しかし、備前焼作家に聞いたこんな話もある。素人は作品を見る目がなく、値段だけが品物選びの目安。高い=値打ち物、が刷り込まれている。で、一般的に高値が貼られる、というのだ。やれやれ。
NO.37/2013.6.5 より抜粋    藤は咲いたが・・・ 桜は例年より十日も早く咲いたが、4月の中頃から冷え込む日がつづいた。それでも、庭の藤はいつものようにぴたり5月1日には満開に。しかし、熊蜂(「くまんばち」ーすずめばちの異名ーとは異なる)の数が異様に少ない。いつもは羽音がうるさいほどなのに二、三匹ほどしかやってこなかった。長引く寒さでストーブの炊き止めは5月3日だったが、その数日後には夏日やら真夏日が。そのあげく5月27日には早々と中国地方の梅雨入りが報じられた。いまや「例年どおり」や「平年なみ」といった言葉は"死語"ではなかろうか。いや、「異常気象」の言葉すら"死語"かもしれぬ。「異常」が「平常」と化しているのだから。「地球温暖化」ではなく「気候変動」という用語のより的確さを改めて認識する。 腰を軽く どさ回りと映画(と「全国アコーディオン合宿」などの恒例スケジュール)をのぞくといつもは家に閉じこもりがちの毎日。で、今年はなるべく身軽く動くことを心がけるつもり。4~5月、近場で「港菜都子&正富明日香マリンバデュオコンサート」「スプリングコンサートさいだいじ」のほか、大阪で「おきなぐさ~林光さんを偲んで歌う」(安見子出演)にゆき北村夫妻宅に泊まったりした。泊まりでいえば、相棒おしの(女六人姉妹!)の「きょうだい会」で磐梯熱海、環瀬戸内海会議総会で姫路に。つい先日6月2日は「アースデイin豊島」で豊島に渡り、島内散策のついでに「豊島美術館」に。アートスペースと称する若干の仕掛けがほどこされた建物自体が作品なのだ(アート=内藤礼・建築=西沢立衛)。これは"めっけもの"だった。離島の不便さ・船便の少なさへの不満がすっかり解消された。この日は瀬戸内市議選の投・開票日。夜、牛窓再発見の会例会「勝ちゃんの市政報告」を担当している中村勝行の選挙事務所に。9時過ぎ当確連絡入りつめかけた人たちと祝杯。最終得票915票、定数20中11位。 ワープロ かねてから「予備機種含めて4台ある・・・」と報告していたが、3月に入って全機種をチェックしてみた。2台は○、2台は×。×の2台は文章は打て印字もできるのだがフロッピーの登録・呼び出しができぬ。先行きがちと心細くなった。
NO.36/2013.3.5 より抜粋   ウイスキーそうめん というのを口にした。いつも晩酌をやりながら腹も満たすという方式だが、ある晩、つまみを並べ、茹でたそうめんを置き、届き物のウイスキーを水割りで呑んでいた。水割りもコップ、そうめんのつけ汁もコップ。これがいけなかった。何度目か、コップにそうめんを入れ口に運んだ。まずい!間違いに気づいたが構わず嚥みくだした。やばい!近頃これに類したことがしばしばある。 本3冊 ①今年に入って、小生が関わった本が3冊でた。①牛窓再発見の会発行『あの人、この人 牛窓人物誌』第2集。〈牛窓に住むさまざまな人びと、農業・漁業・造船・商店など実業にたずさわる人びと、絵画・文芸・教育・サークルなど文化にたずさわる人びと。これらの人びとの"生活と意見"を聞き書きによってまとめることで、個人史でもあるが牛窓の町の歩みの一環を語るこのにしたい〉(はじめに)ということから会の25周年を記念して企画した小冊子。昨年1月に第1集、今年1月に第2集を発行した。第5集までつづける予定。600円。②環瀬戸内海会議発行『瀬戸内海は今』。牛窓再発見の会の財政は潤沢だが、これは絵本『牛転うしまろびの話』や絵はがき『牛窓風景』などの出版事業収益に拠っている。その経緯から小生が企画・提案して発行に漕ぎつけた。〈瀬戸内海の環境を保持・回復させ、後世に残していくためには、市民、自治体がともに協力していくことが必要です。そのためには、一人でも多くの市民が問題の所在を認識し、小さいように見えても自分にできる実践を始めることが重要です。その観点から環瀬戸内海会議として作成したのがこの小冊子です〉(おわりに)500円。③鈍工房発行『安堵感/おしまいの記』。昨年夏に手掛けた「一日一文」50篇を収録。〈随筆、随想、備忘録・・・どれにもあてはまり、どれにもあてはまらないような、(中略)歳月の経過を追うでもなし、テーマごとにくくるでもなし、まとまりのない「一日一文」〉(はじめに)だが、B6版で120頁近くになった。1000円。たくさんの購入を。なお郵送の場合は「レターパック」で送るので(これが手軽なのです)プラス送料350円。着後同封の郵便振替用紙で振り込みを
NO.35/2013.2.1 より抜粋   もう1月が終わった 早い!速い!元日はつい先頃だったのに・・・こんな案配なら一年が過ぎるのもあっという間かもしれぬ。このひと月、なにがあったろう。『開成悪童連通信』発行(季刊、9人の同人の寄稿で成り立っている、小生が編集担当)、14日予定の〈牛窓再発見の会〉総会延期の手配、再発見の会発行『あの人、この人 牛窓人物誌』2集刷り上がり(昨年1集発行、5年間で5集まで出す予定)、〈窪田聡・歌のある風景〉のチラシ発行と準備、〈環瀬戸内海会議〉発行の『瀬戸内海は今』校正校閲、3月の〈アコニストのつどい〉よびかけ発行(鈍工房が主催)、23日〈歌工房ふう〉レッスンがはじまり(今年から第2・第4水曜日)、27日〈歌のある風景〉NO.14開催(参加者はちと少なかった、「寒かったせい」と思うことにしている)。映画はよく観た。7本。※チキンとプラム※映画と恋とウディ・アレン※桃タオさんのしあわせ※96時間/リベンジ※情熱のピア二ズム※恋のロンドン狂騒曲※ライフ・オブ・パイ。いずれも岡山市だが、〈シネマクレール〉は後楽園駐車場から片道2kmの散歩がいつものこと。〈TOHOシネマズ〉は近くの魚卸売市場のなかにある食堂街での食べ歩きが娯しみ。 どさ回り 毎年4月の恒例どさ回り、いつもは終わってからの報告だが今回は予告というか大ざっぱあ旅程を載せる。このルートのどこかで「会おう」「呑もう」と思ったら声をかけてください。日程調整をしてみます。3月中旬には旅程確定のつもり。念のため。昨年からアコーディオンは現地調達としています。定番のようになっている呑み会や訪問はあえて書き込んでいませんが今年もよろしく。  "どさ回り"をはじめて何年経つだろう。地方の牛窓から出てくるのに"どさ回り"とは何だ、と謗られたこともあった。はじめは疎開中の小学校の同窓会に合わせて2月。それが億劫になり、〈労働者文学会〉総会に合わせて4月となり、そこに〈開成悪童連〉の呑み会が加わり、ついでにいくつか小生のコンサート「歌のある風景」が組み込まれ、今の形になった。しかし根っこは懐かしい連中と酒を酌み交わすこと。旧交を暖めること。これだけはしっかり押さえながら、もうちょい続けるつもりだ。それだけの気力・体力はまだある。  注)旅程は載せていません 遅まきながら 2013年、今年もよろしく。お互い健康、水平飛行でありたいもの。
NO.34/2012.12.1 より抜粋    歌のある風景 11月25日に「窪田聡・歌のある風景」。これで奇数月・隔月の最終日曜日開催としたシリーズの今年度分が終わった。今年は3~11月、NO.9~NO.13の5回。来年は1月から奇数月・隔月の最終日曜日開催の予定。最終回11月は有料入場者数は34名。昨年までは毎回ごとに案内チラシを発行していたが、今年は当初発行した年間案内チラシ1枚だけ。それにしてはまあまあの集客数といえようか。来年はせめて年間の前・後半に分けて2枚のチラシ発行にしようかと。 言葉あれこれ ①前号に「一日一文」に触れて〈随筆というか忘備録というか毎日一篇の駄文を書き続けた〉と記した。その直後発行した『開成悪童連通信』に「喜寿の忘備録」と題した一篇が寄せられた。で、念のために辞書を引いたが「忘備録」は載っていない。手元にある三つの辞書、前記ふたつプラス広辞苑にもない。それもその筈、正しくは「備忘録」。やややっ、だった。②へえーっ、と思ったのは前項に記した「小遣い」。広辞苑は「こずかい」、大辞典と新明解は「こづかい」で載っている。広辞苑は確実に誤りだろう。「つかう」で「遣う」が載っているのに「こずかい」はなかろう。ちなみに、手元にあるのは昭和44年(1969年)発行の第二版。③「跡切れる」(本田靖春『私戦』)、「三水偏」(佐藤愛子『老兵の消燈ラッパ』)に出会い辞書を引いた。「跡切れる」を「とぎれる」と読み、「さんずい」を「三水」と書くとは知らなかった。④送られてくる雑誌のひとつ『マスコミ市民』に「異端のジャーナリストに聞く」という連載欄がある。そこでの印象的なふたつの指摘を紹介する。〈政・官・財・労・法・学・報、全部が一緒になって・・・〉(9月号)。〈「マスゴミ」という言い方が印象的です・・・〉(10月号)。 映画 9月は1本(『ミッドナイト・イン・パリ』、面白かった)10月8本、11月6本。『ピアノマニア』『キリマンジャロの雪』がなかなかだった。映画は岡山市で観る。車で出かけるのでいつもおしのといっしょ。ひとり1000円になる"夫婦割引"を利用する。この時だけふたいりは"夫婦"になる。もっとも今年65歳になったおしのは"シニア割引"に該当するので「私は一人でも構わない」とほざいている。それはそうと予告編が終わりさて本編となる前に映るのが「NO MORE映画泥棒」。観客を泥棒候補に見なすかのようで不愉快極まりない。
NO.33/2012.9.25 より抜粋    彼岸 「暑さ寒さも彼岸まで」というが、台風16号の余波でひさしぶにの雨が降った後の9月19日はさわやかな一日だった。湿度計は50%。夏の間はいつも70%前後だった。海が近いので湿度が高い。「暑い」ではなく「蒸し暑い」わが家だ。今年の夏は長かった、が実感。三年ぶりに水風呂に浸かった。バスタブに水を張っておいて、ときたまじゃぼんと浸かる。無論、湯を少し足す。とはいえ、秋が来た、と思う。22日夜はタオルケットから掛け布団に替えた。ついでに言えば、今年の夏も(昨年の夏も)乗り切ったではないか。電力の話。原発がなくても大丈夫なんです! 一日一文 と題して、随筆というか忘備録というか毎日一篇の駄文を書き続けた。7月25日~9月12日まで50篇。(1)と(50)の結びの部分を再録する。〈いまでも、住み込み第一日の夕飯にありついた時の、あの「安堵感」を思い出すと、なんのはなし、心が膨らんでくる〉[安堵感]、〈人生の"幕引き"は自然に、勝手に、突然にやってくる。それまではいつもどおり暮らしていくまでのこと。出来たら、惚けずに、肩の力を抜いて、朗老と・・・〉[おしまいの記] 仕事と遊び 8月、安曇野に。長野のアコーディオングループ「白樺」の同窓会。活動しなくなって数年経つが残金を遣い切ろうという趣旨での集まり。山本の叔父の別荘での気ままな19日~21日の二泊三日。安曇野は、美術館と蕎麦屋と土産物屋がやたらに増えた。よろしくない。いずれ滅びることだろう。松本に前泊。ホテルから馴染みの呑み屋に歩く間に三回声を掛けられた。「小澤さんでしょうか?」。例年、8月はサイトウ記念フェスティバルが松本で開かれる。後で知ったが、ふつか前の16日に小澤征爾が松本入りしていた。いままでも何度か声を掛けられたことはあった。キューバ旅行中ににも、昼食で寄ったあるホテルでイタリア人ツアーの女性にサイン帳を出されたことがあった。彼が病気がちで身奇麗でなくなってから間違えられる回数が増えたように思う。不愉快ではないが光栄でもない。9月、伊豆・埼玉・東京に。7~9日は伊東で全国アコーディオン合宿。34回になる。当初は呼びかけ側だったが今は呼ばれる側。ずうっと講師を担当している。9日、恒例の4月どさ回りで寄る「オリーブ・カフェ」(さいたま市)で「ほろ酔いコンサート」。大宮泊。翌10日、「童謡おおみやの会」月例会にゲスト出演。前夜急遽決まった出番。同日夕方、東京・西荻窪「こけし屋」で「開成悪童連秋の集い」。フランス料理店だが、焼酎のお湯割りで通した。新宿泊。良く11日帰窓。
NO.32/2012.7.5 より抜粋   半年 今年も半分が過ぎた。歳を取るごとに時の流れは速くなるというが・・・それにしてもの感あり、だ。気も急くようになるのか、作業台に貼ってある「処理MEMO」にはもう12月までの予定・作業項目が書き込んである。ところでこの「通信」、随時刊だが、今年になってからの発行はこの号を入れて4月20日・5月5日・7月5日の3回。気分次第とはいえ、かなりムラがある。次号は9月になるだろう。これからは、送り先を徐々に減らしていくつもり。一方通行というか、まったく反応なしの人に送るのはむなしいものだ。 藤余談 前号に、庭の藤について<家といっしょに藤も引き継いだのだが、花の勢いが衰えない>と書いたが、咲き終わって庭に散った花びらの例年より少ないことに気づいた。が、蔓の勢いは衰えない。すでに二度切った。藤棚に収まりきらない。夏までには何度か切ることになろう。例年だが、花といっしょに黒い大ぶりの蜂がやってくる。「くまばち」と教わった。「くまんばち」とは違うという。<くまばち【熊蜂】花にくるミツバチ科の大形のハチ。体長2cm余。体は黒色で太く丸みがあり、胸部背面に黄色の毛を密生。枯木に穴をあけて巣を作る。本州以南に分布>[講談社『日本語大辞典』]。 <くまんばち【熊ん蜂・胡蜂】スズメバチの異名。クマバチとは異なる>[同]。 DONの丘 と勝手に呼んでいるが、まずは鈍工房がありやがて<自由空間DON>が建ち、<玄米食堂楽土館>が町内から移転し<ATELIERさるぅく>が建ち、昨年秋に<ちょい蕎麦庵>が開店した。その<ちょい蕎麦庵>だが、口コミやらネットでの書き込みやらで結構客が多い。案内板にあるように営業時間は「11:00~15:00」なのだが、「一日20食程度しか準備ができませんのでご了承ください」というわけで、大概は15:00時前に暖簾を仕舞いこんでいる。はじめの頃こそ、ときどき余った蕎麦が届いていたものだったが。
NO.31/2012.5.5 より抜粋   大型連休 いつもが"連休"の小生。車も人も増える連休中はなるべく自宅に居るに限る。映画も我慢。人の訪れの少ない。本を読むのも飽きた。で、ワープロを開きこの通信を打ちはじめた次第。前号から半月も経たないから近況報告にも事欠く。だらだら駄文になるだろうが、お付き合いを。さて5月。今年の桜はだいぶ遅れたいうのに、庭の藤の花は5月に入ったら例年どおりきちんと満開に。家といっしょに藤も引き継いだのだが(藤棚は木製を金属製に替えた)、花の勢いは衰えない。 どさ回り余談 数年ぶりに墨田区の実家に寄った。そこには三兄が住み、その三兄が病床にあるので、家業の建具店は次兄が切り盛りしている。実家は、〈・・・そのあずまの名をとった吾嬬村は押上の東で、現在は京島、文花、立花、八広、東墨田となっているが、京島地区だけはほとんど戦災をまぬかれたため、まだたくさんの路地をもっていて、文花などといういかにも上っ面だけの団地的空間とは異質な空間を残している〉[文・西井一夫/写真・平嶋彰彦『新編「昭和二十年」東京地図』]の「京島」にある。以前は「路地」はいくつもあるが、さすがに"向こう三軒両隣"風な焼け残った長屋は建て替えれている。しかし、どこかに"下町"風情が伺えた。このあたりから「東京スカイツリー」は近いが、街に浮かれた気配はない。むしろ次兄の話では、大きなスーパー・イトウヨーカ堂が東京スカイツリー近くに移転し、その集客力の余波の減少で小売店が数件シャッターを降ろしたという。そういえば東武線「業平橋」の駅名が「東京スカイツリーナントカ」と変わったそうな。在原業平にちなんだ名称が消える。彼が詠んだ和歌にもとづく「言問橋」の根拠がなくなっちまう。"下町"が遠くなる。
NO.30/2012.4.10 より抜粋    どさ回り 恒例。3月31日~4月12日、埼玉・東京・群馬・長野・新潟・富山・名古屋と回った。いつもは桜を追いかける旅なのだが、今年はおしまいの名古屋ではじめて桜の花を見た。群馬と長野では雪に降られた。あれやこれや"遅い春"を実感した。コンサート〈窪田聡・歌のある風景〉は埼玉・長野(2か所)・富山の4か所。アコーディオンは持たずに現地調達ですませたので、身体もだが気持もだいうb楽だった。ただ慣れない楽器(特に鍵盤の具合)でミスタッチもかなり。長野〈象庵〉でのコンサートで「あと三年、80歳になる2015年まではつづけるつもり」といったら、「象庵としてはNO.10となる2016年まで・・・」と返された。
CABIN 組織替えにともなって歌も『全専売労働組合歌』から『全たばこ労働組合歌』に替わった。その作曲は小生。「たばこ産業にはたらく労働者の歌をつくったぼくがたばこをやめる訳にはゆくまい」と回りの連中を煙にまいていた小生だが喫っていたのは"洋モク"の〈KENT〉。理論に矛盾あり、だ。誰かに指摘される前に"和モク(?)"の〈CABIN〉に替えた。この銘柄はどさ回り中に堀越勲に勧められた。 『あの人、この人』 〈牛窓再発見の会〉の25周年を記念して1月に『牛窓人物誌 あの人、この人』を発刊した。聞き書きをもとに会員で詩人の森崎昭生がまとめた。地方紙の紹介記事には〈今後、毎年1冊ずつまとめ、5冊完成した後、会を解散する〉。1月の会の年度総会で、30周年の2017年で解散、と提案し確認された。いろいろと"終結"のメドをつける時期にきている、という思いがつよい。
NO.29/2011.12.10 より抜粋   午前十時の映画祭 TOHO系で古い映画を週替わりで一年間に50本上演するのが「午前十時の映画祭」。昨年につづいて今年は"第二回"となる。岡山市の〈TOHOシネマズ岡南〉に通って観たものを挙げる。サウンド・オブ・ミュージック/ザッツ・エンタテイメント/バンド・ワゴン/素晴らしき哉、人生/シャレード/風と共に去りぬ/サンセット大通り/荒野の用心棒/荒野の七人/シェーン/大いなる西部/禁じられた遊び◆ 『サンセット大通り』と『禁じられた遊び』のほかは初見。映画通の開成悪童連の友人・東ひがし顯あきらがこの秋に<『シェーン』を見ないで死ぬのは損失だヨ〉と書き送ってきたが、それ程でもなかったなぁ。おしまいの場面の「シェーン!」と『禁じられた遊び』のおしまいの「ミシェル!」の類似が以前から気になっていたのだが、設定がまるで違っていた。『禁じられた遊び』については記憶違いに愕然とした。 「窪田聡・歌のある風景」 〈歌工房ふう〉の12月7日「ふう会議&パーティ」で、来年3月から11月まで奇数月・隔月の最終日曜日開催が決まった。年間5回。おかげで年間を通してのチラシが作成できて、毎回ごとの労力・経費が削減できることとなった。「歌のある風景」はまだまだつづく。だいぶ以前、2008年暮れに届いた〈お互い、2009年も現役で行きましょう〉という林光さんのハガキが背中を押してくれてる(気がする)。 2012年もよろしく! 入院の知らせや訃報があいつぐ近頃だが(わが身にもいつ、といった齢だが)、くたばるまではお互い現役で。
NO.28/2011.11.15 より抜粋  仕事はほぼ終了 11月6日今年最後の「窪田聡・歌のある風景」が終わった。通算で⑧となる。次回は来年3月。11月11日「座談講座・窪田聡の文化論」が終わった。「牛窓文化月間」は昨年で終結したがこの講座は数年継続するつもり。あとは11月に金剛寺(岡山市)「歌のある風景」、12月に広島音楽サークル協議会の年1回の「歌のひろば」参加・出演(広島市)、国立ハンセン病療養所愛生園「歌のある風景」(瀬戸内市)があるが、主催行事ではないので気楽だ。で、手持ちのCDを整理してほぼ半分を捨てたり、本棚を整理して何冊か読み直し分を取り出したり、遺言書の公正証書作成の準備をしたり・・・なんとはなし年末あるいは終末ムードになっている昨今ではあります。「終末」といえば前号に〈後日「遺影に使ってもいいのでは」と写真が届いた〉とそれを載せたが、〈・・・巻頭に飾った写真。ボタさんと知り合ってから、多分30年にはなるはずだが、こんな顔をしたボタさんは、まったく初めて見た。・・・なんのくったくもない好々爺といったところで、いい写真だ。この顔永久保存版にしたらいい〉(労働者文学会・青木実)という便りが。いつだっていい顔している筈なのに。 開店 前号に〈友人がそば工房をはじめるとてただいま自由空間DON裏の法面に工房を建設中〉と書いたが、
11月3日に開店した。店名は「ちょい蕎麦庵」。この名づけ親、そして立看板の文字は牛窓在住の西郷竹彦氏。西郷隆盛の血縁にあたるというが、それには関係なく文芸教育の分野での業績が厚い人物。紹介したい人なので、小生の書いた駄文を付録として同封します。 全国版というが 〈朝日新聞』の「声」欄に飯館村に住んでいた(今は福島市に避難している)開成悪童連の旧友の投書が載ったと東京在住のおなじ開成悪童連の友人から記事コピーが届いた。掲載日は9月25日。わが家のおなじ日づけの紙面をめくったが載っていない。おや?遅れて10月3日の紙面で目にした。ふーん。全国版とはいえ、東と西とでは紙面内容が違うということだ。朝日新聞社に東京本社・大阪本社がある所以。東での出来事が西には伝わっていない場合があるのだろう。逆の場合もまた。その福島市に避難している岡本易から「愛する飯館村を還せプロジェクト負げねど飯館!!」のかわら版『負げねど飯館!!』が送られてきた。健闘を祈る
NO.27/2011.9.20 より抜粋    仕事&旅 7月=環瀬戸内海会議総会で松山市。路面電車2経路の終点から終点まで乗ったり道後温泉〈坊ちゃんの湯〉に浸かったり/備前市で「キャンドルナイトコンサートin吉永」。 8月=友人夫妻と鈍工房二人で蒜山
ひるぜん高原にドライブ。帰途〈神庭かんばの滝〉に。後日「遺影に使ってもいいのでは」と写真が届いた。余談:この友人がそば工房をはじめるとてただいま自由空間DON裏の法面のりめんに工房を建設中。10月中旬オープンの予定。 9月=全国アコーディオン合宿で伊東市。33回になる。二泊三日。常連参加者のうち東日本大震災の影響で一人欠けて13名/下田市に回り曽村征子宅に一泊。島田佑子も来た。 翌日は東京・西荻窪の〈こけし屋〉で「開成悪童連秋の会」。フランス料理店での宴会とは!だが焼酎があったのでまあ・・・。飯館村に住んでいた(今は福島市に避難している)旧友の話の「"反原発"とはならぬ村民たち」に胸痛む/岡山・瀬戸町の敬老会で「歌のある風景」。こちらが敬老される年齢なのに・・・。 「歌のある風景」 「窪田聡」の冠をつけた昨年秋からの新シリーズも、⑥8月「ヒロシマを忘れない」、⑦9月「『うたの旅人~かあさんの歌~』を観る」と終わった。つぎの⑧は11月。牛窓文化月間も打ち止めだし、だいぶ"ひといき"入れられる。 映画 〈午前十時の映画祭〉で古い映画を観ることが多くなった。『サウンド・オブ・ミュージック』やら『風と共に去りぬ』などははじめて観た。映画青年だったぼくもある時期まったく映画を観ない暮らしがあった。『サンセット大通り』やら『禁じられた遊び』はこれからだが再見するつもり。"普通の"映画にも割りと足を運んでいる。新藤兼人の"最後の"映画という『一枚のハガキ』を観た。楽器の使い方・音の配列、「これは林さんだな」とおもっていたらやはりおしまいの字幕に「音楽・林光」と。『二重被爆』『100,000年後の安全』も時節柄有効な作品。 牛窓再発見の会 発足は1988年5月。ぼくが移住する半年前。来年25周年を迎える。絵本『牛転うしまろびの話』(文=窪田聡・絵=広畑一男)やら絵葉書二種(広畑一男/ミツル・カメリアーノ)やらを発行したりもしたが、現在は講座・例会が主。講座は瀬戸内市の学芸員若松挙史を講師にした「牛窓今昔、いまむかし」、例会は瀬戸内市の市会議員中村勝行を報告者にした「勝っちゃんの市政報告」。三か月ごと、それぞれ年4回の開催。それに「牛窓渚ウォッチング」などの行事がはさまる。講座・例会の出席は15名前後だが、1月の年度総会にはほぼ全員20名前後集まる。どういう訳か、ここ数年会員がすこしずつ増えている。ぼくは一人だけの事務局。企画を立てチラシをつくり通信を配る。絵本やら絵葉書やらの事業収入などで財政は豊か。前年度の会計残高は1,187,769円だった。鈍工房に置いてある45万円のコピー機はこの会の所有。コピー1枚10円のシステムで、鈍工房もだが各団体が重宝している。 テレビを捨てた アナログ放送から地上デジタル放送へ、とうるさかった。で、はやばやと6月にテレビを捨てた。"最善の"地デジ対策だ。新聞の番組表も必要なくなったがまだ新聞はやめていない。
NO.26/2011.6.25 より抜粋    コンサート 昨年秋からの新シリーズ「窪田聡・歌のある風景」はつい先日の6月12日、ゲストにアコーディオンの小山正則(広島)を迎えての「シャンソン、シャンソン、シャンソン!」が⑤。4月3日の④「春!胸弾ませて」は30名足らずだったが(東日本大震災から間があいていなかったから、と推察している)、今回は補助椅子を出す盛況だった。次回は8月6日の⑥「ヒロシマを忘れない」。ほくの作品を〈歌工房ふう〉が演奏したりもするが、原爆詩人栗原貞子が生前吹き込んでくれた自作朗読テープなども流す。かつておなし「ヒロシマを忘れない」のタイトルで車座コンサート風に何回か企画したが、公開コンサートに組み込むのははじめて。何人集まるか。今後の企画を考える上での大きな手掛かりになることだろう。 自採じさい自消じしょう 「地産地消」のもじり。海でアサリを採り山野でワラビやセリを採り食卓に載せる。採るのはおしの、手を加えるのはぼく(この場合「採る」は正解か?)。4月中旬から5月中旬はうれしい季節だ。貰うよりも美味に感じる。6月に入ってからは熟して落ちた梅の実を採り梅干し・梅酒づくりにはげんでいるおしのだ(梅は〈自由空間DON〉が建った2002年に植えた)。ぼくはグミの実をあつめてはじめてジャムをつくってみた(グミは牛窓に移住した翌年1989年に植えた)。果実樹はほかに蜜柑と柿。これは秋の楽しみ。 立ったまま つい最近気がついたのだが、寝起きや入浴の際のGパンの履き替えが立ったままで出来ている。以前はよろけるので座ったり柱に掴まったりしていたように思う。体重が減ったせいだろうか。目下55kg前後。老太りならぬ老痩せ気味。おしのも胃癌術後の経過はまったく異常なしなのだがどうしても体重が増えぬという。目下46kg前後。賄い担当のぼくのせいだというのだが。 無口です 通信前号は5月5日。〈東日本大震災〉以後だったがそれには触れなかった。今号もまた。ときどき頭の中を古い歌の言葉がよぎる。『あたりまえの地球』をうたった人は「前とは違った感じで受け取れる」と。
NO.25/2011.5.5 より抜粋   殺すな 今年も憲法記念日の5月3日の新聞に「殺すな」の全面意見広告が載った(「朝日」)。この文字は〈1967年・・・「ワシントンポスト」紙に反戦(ベトナム戦争)を訴える意見広告を出し・・・そこで使われた画家、岡本太郎さんが書いた〉ものだと。賛同者のうち名前公表可6754件の氏名が載っているのでそれこそ虫眼鏡で探してもやっとの小さな文字だが、やっぱり「あった!」。〈名村嘉也子〉。ぼくにとって"懐かしい人"。20歳前後の"青春"が想起される。今は東京・文京にある「オルゴールの小さな博物館」の運営に携わっている。毎年の「殺すな」の意見広告欄で彼女の"健在"を知るのもよきかなではある。 遅い春 牛窓で:鶯の初鳴きを聞いたのは3月30日。その後もしっかりとした鳴き声は聞いていない。桜は例年より一週間ほど遅れた。旅で:どさ回りでは東京から日本海側に出てという桜を追う旅程なのだが今年は違った。長野では桜はまだつぼみだった。ほかの花も山菜も遅い。しかし庭の藤は5月に入ったらきっちりと咲いた。黒い大ぶりの蜂も羽音を立ててやってきた。「熊蜂」とはじめて知った(「熊ん蜂」とは違う)。5月になってからも幾日か朝夕は石油ストーブを炊いた。毛糸のセーターもなかなか脱げぬ。やはり今年は遅い春。 禁煙ファシズム 東京方面に向かう時はいつも岡山始発の「ひかり」に乗る。必ず座れるし3号車は喫煙車。しかし4月のどさ回りでは全車両が禁煙に。3月の時刻改正以降という。少数派・マイノリティーへのまなざしに欠けてはいまいか。身障者と同列に論じるのはどうかと思うが、喫煙者への配慮もほしいもの。なんとはなし「ファシズム」の言葉が頭をよぎる。分煙制の喫茶店ではどちらもほぼ同数の客がいる。 切り捨て ここ10年ほど毎年町(市)の人間ドックを受診していた。ところが今年届いた案内には〈人間ドック受診は国民健康保険加盟者のに適用〉とある。後期高齢者は適用外ということ。ぼくは昨年9月から後期高齢者医療保険に切り替わった。つまり人間ドックは受診出来ない。そういえば過疎の進む地区について「限界集落なんて言葉もある。「後期高齢者」といい「限界集落」といい、切り捨ての思想が透けて見える。 予定いくつか 前号に「暇で、暇で・・・」という項を置いたが4月どさ回りが終わってまたまた「暇で、暇で・・・」風だ。普段のスケジュール以外は次のとおり。6月=12日「窪田聡・歌のある風景」⑤〈シャンソン、シャンソン、シャンソン!〉/香川・高松で開催される「はたらくものの音楽祭」に参加するついでに北海道グループが30日牛窓に寄る。7月=30日岡山・吉永町「歌のある風景」。8月=6日「窪田聡・歌のある風景」」⑥〈ヒロシマを忘れない〉。9月=伊東で「全国アコーディオン合宿」。
NO.24/2010.12.25 より抜粋    暇で、暇で・・・ 12月は5日に〈牛窓文化月間しめくくりパーティ〉(本当のしめくくりで、牛窓文化月間を実現する会はこの日で解散した)、15日に〈歌工房ふうパーティ〉(一人一品持ち寄り方式、来年前半のコンサート日程を決めた)があり、あとはなんのなし。おしのが風邪をひき、直りかけたらぼくが体調を崩し、という訳で映画にも出掛けられず蟄居中。で、「暇で、暇で・・・」という次第。東京時代もだったが、こちらでも忘年会・新年会などの声は掛からない。1月10日の〈牛窓再発見の会総会&新春パーティ〉まではこんな日々がつづく。来年前半のスケジュールを載せた『ふう通信』、総会&新春パーティを知らせる『勝手ニュース』を発行したら、とりあえず事務処理もない。という訳で、この『朗老通信』に取り掛かった。中身は薄いかも。 KAREI現象 と鈍工房のふたりは名付けている。加齢現象。開成悪童連呑み会は4月第1土曜、労働者文学会総会は第1日曜日と固定化していて、それを組み入れて日程を立てている恒例の〈窪田聡・4月どさ回り〉なのに、それを失念して牛窓での〈歌のある風景〉の日程を決めてしまった。すでに東京で一か所、長野で三か所決まっている〈歌のある風景〉にぶつからなかったのは幸い。細かなことではこのKAREI現象はしょっちゅうだ。ぼくだけではない、おしのもあやしい。 再録 日音協北海道支部が年に一度、正月に年賀広告満載の資金稼ぎ用機関紙『音楽運動』を発行してて、それにぼくは「瀬戸内・牛窓からの報告」という1頁の原稿を寄せている。今回(来年1月用)送ったものを再録する。少々長いが、ご勘弁を(「昨年」「今年」などはこの通信の発行時に合わせて修正)。
ぼくが牛窓に移り住んだのは1988年10月。天皇制につながる元号は嫌いだが、移住何年と数えるには便利だ。今年平成22年は移住22年目になる/この間、某宗教団体への〈黄島町有地売却反対〉、県関与の〈産廃処分場計画反対〉に取り組んでいずれも撤回させ、〈牛窓に風を!の会〉として相棒篠田澄江を町議会に送り込み・・・などのいわゆる"政治活動"に汗をかいたりした/無論、根っこにはいつも"音楽活動""文化活動"があった。1991年からの〈牛窓文化月間〉。10年つづけた〈うたごえ喫茶〉と〈おんがくひろば〉を受けて、2000年からの〈歌のある風景〉シリーズ/だが始まりあれば終わりあり、終わりあれば始まりあり/今年、〈歌のある風景〉シリーズはNO.50で打ち切り、あたらしく〈窪田聡・歌のある風景〉シリーズをはじめた。毎回テーマがあって、9月は「ロシア、ロシア、ロシア民謡!」、10月は「『かあさんの歌』、その前後」、11月は「フォルクローレ!ケーナのひびき」だった/〈牛窓文化月間〉は20年を区切りに今年度で結集した。今年度は参加行事の分担金なしとし、20万円で『牛窓文化月間の記録』を発行し、なおかつ余剰金20万円を鈍工房が引き継いだ。これからは、文化月間に参加した個人・団体が自主的・主体的にさまざまな催しを展開することだろう/ーなどなど、過去を振り返るのは加齢の兆候、と心配めさるるな/あたらしくはじめた〈窪田聡・歌のある風景〉は2015年までいつでも通用する前売券を発行した。ちなみにこの年、ぼくは80歳になる。まだまだ現役続行です/ついでにいうと毎年恒例の〈窪田聡・4月どさ回り〉、今年は2日から15日まで丸2週間、名古屋・東京・埼玉・群馬・長野・新潟・富山・大阪を回り、連夜の?み会、4か所のコンサートをこなして無事帰還した。来年も実施のつもり
「瀬戸内・牛窓からの報告」の寄稿は1993年から。今回の原稿の締めは〈ぼくの役割はさしずめ、「(老人の)俺より先にくたばるな」ということを存在で示すことあたりだろうか。お互い元気で〉。
NO.23/2010.10.10 より抜粋    鈍ったのかも 今年の夏は"酷暑"だったという。真夏日がどうの猛暑日がどうの、と報じられるデータはそれをはっきりと裏付けている。が、ぼにくはその実感がなかった。エアコンのないわが家は昼も夜もずっと室温30℃・室温70%前後だったが、なんとか扇風機で間に合わせた。数年前の、日に何回か水風呂につかることも、ピアノ練習を口実にホール(自由空間DON)でエアコンをかけて過ごすこともなかった。せいぜいが、冷房の効いた映画館に足を運ぶことが増えたぐらいだ。加齢で感度・感覚が鈍ったのかもしれぬ。その夏も9月7日、誕生祝い(75歳になりました)かのようなひさかたぶりの雨を境に秋に転じた。15日からは窓を閉めて寝た。22日は雷と雨。それでも夜8時前後、流れうごめく雲の透き間から"中秋の名月"が見えた。 「午前10時の映画祭」 というのが今年の2月から来年1月までほぼ一年間ある。主催=映画演劇文化協会/運営=「午前10時の映画祭 何度見てもすごい50本」実行委員会。週替わりで上映。こちらでは岡山市にある〈TOHOシネマズ岡南〉で観られる。 "酷暑"のおかげで『ウエスト・サイド物語』『雨に唄えば』『鉄道員』『天井桟敷の人々』『太陽がいっぱい』と5週つづけて観た。初見・再見まちまち。ついでに昼食も冷房の効いた店で、となる。出費がかさんだ。 再補助椅子録 終わりあればはじまりもある。音楽集会のあたらしいシリーズ〈窪田聡・歌のある風景〉の第一回が9月23日。いままでは、〈歌のある風景〉でくくって毎回「うたごえ喫茶」だったり「合唱だたどる音楽の散歩道」だったり「アコニストたちが町にやってきた」だったりしたのだが、これからはすべて〈窪田聡〉でくくる。ただし毎回テーマ/サブタイトルを設定する。9月は「ロシア、ロシア、ロシア民謡!」。コサック/ツアーリズム/ロシア革命を語り、『カチューシャ』の作曲者ブランテルとの出会いに触れ、〈歌工房ふう〉が演奏し客席ととともにうたい・・・・といった具合。5月以来の集まりなので危惧したが、折りたたみ椅子50脚では足らず、補助椅子として背もたれのない四角の座椅子20客を並べ足した。10月23日は「『かあさんの歌』、その前後」だが、はたして補助椅子は必要かどうか。
NO.22/2010.8.5 より抜粋    8月 〈戦はおわった爆音はとだえた/しおれた花に空だけが青く/残された子はひもじさに泣く/残された子はひもじさに泣く〉(窪田聡『またくるあしたを』)。天ちゃんの"玉音放送"は、疎開先の叔父の家の隣村、3軒だけの集落のなかの母の実家の庭で聞いた。10人ほどが集まっていただろうか。なかに、母と妹とぼくがいた。ぼくは小学4年生だった。雑音のせいばかりだなく子どもには意味不明だったが、雰囲気で戦争がおわったことはわかった。〈空だけが青く〉は実感だ。〈アメ売りおじさんはいつも毎日/雨、風、雪の日もお店を出します・八月だけのヒロシマでなく/ケロイドの腕で瓦を手渡しつづけます〉(窪田聡『アメ売りおじさん』)。牛窓に移ってから何度か「8.6ヒロシマを忘れない」と題して"車座コンサートをひらいたが、ここ数年途切れている。9月からはじめるあたらしいシリーズ「窪田聡・歌のある風景」のひとつとして来年は企画しようと思う。やはり8月は、ぼくにとって戦争と平和の月なのだ。〈八月だけのヒロシマでなく〉ありたいと思う。 鈍工房にはまだエアコンがない(ホールの「自由空間DON」にはある。)まわりから「高齢者なのだから熱中症を避けるためにもエアコンを入れたら」の薦めを受けるのだが扇風機で間に合わせてる。今年は"酷暑"というが、それほど感じない。いや、それだけ鈍くなっているのか。今年、夏対策で買ったものふたつ。①水に濡らして首に巻くバンダナ「しろくまのきもち」。②塩梅味の濃い「熱中飴」。夏恒例がふたつ。①環瀬戸内海会議提唱の海岸生物調査は域内100か所を目標にしている。牛窓では「渚ウオッチング」と称して02年から継続している。当初は鈍工房として、今は牛窓再発見の会として。②瀬戸内海に浮かぶ島。長島(合併で瀬戸内市になった)にハンセン病の国立療養所がふたつある。その夏祭り。01年のハンセン病国家賠償請求訴訟支援を期にどちらかの夏祭りに足を運んでいる。盆踊りがありアトラクションがあり、屋台があり花火があり・・・。 ワープロ つい先日、いつものワープロがフロッピーを呼び出さなくなった。違う機種を当たって事なきを得た。ワープロが製造ストップになると聞いて、数年前から何台か集めてナンバーをふっている。どれが古いのか新しいのか判然としないが、機種を記す。すべてSHARP「書院」で、①WD-J150②WD-Y390③WD-M500④WD-A770⑤WD-CP1。フロッピーを呼び出さなくなったのは①、とりあえず救ったのは⑤(これは画面表示がカラー、いちばん新しい機種のようだ)。全部をチェックしていないが、②は印字はきれいなのだが画面にこまかい縦線が入って打ち込みづらい。2年ほど前、大手家電ストア「DEODEO」で部品がないからと修理を断られ、とにかくたくさんの機種を手元に揃えることにした。今からでも、の思いはつよい。どなたか「書院」をお持ちあればい送ってください。なにせ「携帯とパソコンには近づかない」という鈍工房の決議があるのです。 ガセネタ 〈ネット事典ウィキペディアの情報が必ずしも正確でないことはよく知られている〉(渋谷知美「わかめ酒」[講談社現代新書『性的なことば』])。どうもこれが犯人のようだ。窪島誠一郎『わが心の母のうた』(信濃毎日新聞社)に『かあさんの歌』の1章がある。事前にゲラが送られてきてだいぶ手を入れたのだが〈一九五八年窪田が二十三歳のときに発表したもので〉との記述があった。正しくは「一九五六年」「二十歳」。この誤った数字、ほかでも眼にしたことがある。ウィキペディアの仕業らしい。訂正をする手立ても気持ちもないが、はてさて・・・
NO.21/2010.7.15 より抜粋    歌のある風景 牛窓での音楽集会「歌のある風景」シリーズが5月でNo.50を迎えた。No.1は、2000年11月、会場は町中の画廊喫茶〈牛転うしまろび〉。2002年1月から会場は自由空間DONに。「アコニストたちが町にやってきた」「うたごえ喫茶・春」「うたごえ喫茶・秋」「合唱でたどる音楽の散歩道」など、内容はいろいろだった。No.50は「『歌の手帖』全曲うたう」。ワンコーラスだったりだがとにかく収録60曲すべてをうたった。会場いっぱいの参加者は、疲労感=満足感といったあんばいで帰っていった。シリーズとしてはこれで打ち切り。9月からは、「窪田聡・歌のある風景」として開催する。「アコニスト...」や「うたごえ喫茶」はもう結構、の思いがある。より"Bota色"をつよくするつもり。 三大○○ この通信で幾度か触れた。関心がある。つい最近ではNo.15(2009.4.20)で「三大桜」。高じて『《図解》日本の「三大」なんでも事典』(三笠書房)を購入した。ここにもなかったのが「三大夜桜」。No.4(2005.5.5)で〈日本の三大夜桜・・・どさ回りで糸魚川に向かうJR大糸線車内の中刷り広告で目にした「高田城百万人観桜会」の惹句がこれ。・・・・・あとのふたつは思い浮かばない〉と書いたことがある。今年4月、今村夫妻と高田城の桜見物の折、彼女がおなじ城内にある日本画家「小林古径記念館」の館長に訊ねてくれた。新潟・高田/京都・丸山/長崎・丸山、が「三大夜桜」の答え。上野公園や弘前公園が入らないのは桜の本数によるという。 仕事・お出掛け 5月、島根県出雲市で「歌のある風景」。平田町にある合唱団の一周年記念コンサート。彼らは、昨年11月、バスを仕立てて来窓し一泊。翌日の「歌のある風景」No.47に参加してこの企画を立てたという。岡山駅から出雲市駅までJR伯備線に乗った。山間を縫っての3時間だが、車窓から見える川の流れが途中で変わった。瀬戸内海に注ぐ高梁川から日本海に流れる日野川へと。中国山地横断の旅を実感した。コンサートの翌日、宍道湖のほとりを走り松江までドライブ。松江城では開花した「なんじゃもんじゃ(モクセイ科:ヒトツバダゴ)」の樹に案内された。5月愛媛県今治市で環瀬戸内海会議総会。環瀬戸内海会議は、以前は鈍工房、今は牛窓再発見の会が加盟している住民グループ・個人で構成する環境団体。会場は本土側から四国への「しまなみ海道」の島づたいの最後の島・大島。6月、香川県豊島で公害調停成立10周年記念集会。調停にもとづいて2003年9月からはじまった66.8万トンの不法投棄廃棄物の撤
去は去年末で53%にしか達していない。まだ豊島事件は"終わっていない"。
NO.20/2010.5.5 より抜粋    藤に蜂 4月いっぱい寒かった。桜はなかなか散らず、朝夕は石油ストーブを焚いた。なのに5月に入った途端、陽射したっぷり、セーターを脱ぐ暖かさとなり、庭の藤が例年どおりきっちりと花をつけた。満開に近い。そしてどこからともなく黒いずんぐりしたやや大きめの蜂がやってきた。ころも例年どおり。だが、昨年あたりから数がすくない。自然って不思議、と思う。 9時間半 どさ回りの途中12日に、松本から糸魚川までを結ぶ大糸線に乗った。雪解け水がしぶきをあげて流れ下る姫川に沿って走るローカル線。松本11:09-南小谷12:59、1時間半ほどの待ち合わせで南小谷14:21-糸魚川15:19のはずが、平岩と小滝の中間、姫川に架かる鉄橋と鉄橋の中間地点で強風のためストップ。向こう岸を通る自動車路には橋を渡らねばならない。夕6時過ぎ救援用員がきてお茶と握り飯が配られた。いっときは歩いて橋を渡るという指示が出され、合羽をまとい懐中電灯を持たされ軍手をはめて身繕いをした。荷物を持ち誘導するために乗客4人に救援要員4人。しかし、中止。夜中12時頃、第2次の救援要員がきて水とカロリーメイト。うとうとしてふと気づくと、列車がゆっくり動いている。小滝に着いて待機していた車に。糸魚川のホテル着は24:50。自販機で酒と麺。列車ストップ9時間半は長かった、まるで苛立ちはなかった(車掌用の小窓を解錠してタバコを吸わせろ、の交渉はしたが)。ほかの乗客も落ち着いたものだった。車内で「大当たりだなあ。あした宝くじを買ったら当たるかも」などの軽口がゆきかったりした。だが、いちばんの被害者は駅に何度も問い合わせ、かなり遅くなってから予約した居酒屋で三人前の料理をふたりで平らげる羽目になった今村夫妻ではなかろうか。 さな 前号でぞ五右衛門風呂の底に敷く板の呼び名を尋ねた。『大辞林』では「底板」、『日本国語大辞典』では岡山地方の方言として「さな」、と教示をうけた。近畿では「げす板」とも聞いた。どさ回りの途中各地で尋ねたが、五右衛門風呂を自体知らない世代がほどんどで収穫はなかった。
NO.19/2010.3.1 より抜粋    牛窓今昔、いまむかし 前号<「集い」三つ、「提案」三つ>の項で触れたうちのひとつ、牛窓再発見の会のあたらしい講座がはじまった。第1回は<井伏鱒二『備前牛窓』に触れて>。このエッセイは雑誌『新潮』1975年6月号に掲載されたもので、文中に出てくる<新聞取次所の岡崎さん>(すでに故人。その息子が顔を出した)から小生が借りてコピーしておいたものを元にテキストをつくった。ほかで調べたら、講談社文芸文庫の『晩春の旅 山の宿』に収録されているという。町のいつもの書店に取り寄せを頼んだが1990年の刊行なので手に入るかどうか。1974年の暮れから2ヶ月ほど牛窓に滞在しての見聞を綴ったものだが、講座の参加した人の記憶の範囲にある事柄が多いので、まあ賑やかなひと晩だった。1回では終わらず「続」となった。 出前コンサート 2月22日、福島県原町へ。ここも合併で、以前の原町市がいまは南相馬市原町区に。コンサートは市の職員だった人が定年前に退職しあたらしい道に進むきっかけにと企画したもので、昼の部が原町出身の演歌歌手「椿あきら・新曲発表ライブ」、夜の部が「窪田聡・歌のある風景」という妙な取り合わせだった。気がつかなかったが、この日取りは平成でいえば22年2月22日の横並び。それぐらいの茶目っ気・洒落っ気のある人なので、まあ先行きはなんとかひらけることだろう。ちなみに、彼は前号で触れた飯舘のコンサートに来て小生を呼ぶことに決めたと。一泊はホテル、一泊は旧知の関戸邦彦宅。彼は昭和22年2月22日生まれと。ほおー、だ。 ご教示を ①五右衛門風呂に入るときに足の下に敷く板をなんというか。自由空間DONを設計した横田都志子からの問い合わせ。疎開した叔父の家は五右衛門風呂だったが、板としか言わなかったように思う。町の数人からは「さな」と聞いたが、土地言葉かもしれぬ。誰か教えて。②<1992年からなんと19回目!「アコニストのつどい」は今年で終結の予定>の見出しで、2月にひらいた「アコニストのつどい・西日本」のよびかけを作った。欄外に<いつもに増しての参加を期待します>と貼り込んだ。発送したあとで、「おや?」と思った。「いつもに増して」は「いつにも増して」では。意図は「何時もより/例年よりも」なのだが、慣用句としては「いつにも・・・」なのでは。慣用句辞典など手元にないので判らぬ。どなたかご教示を。
NO.18/2009.12.25 より抜粋 「/」の効用 近頃目につくのが、普通の散文のなかでの「/」の使用だ。〈その音楽が生まれた特定の時代/地域/文化・・・〉〈音楽を生み出した共同体/歴史/文化・・・〉(岡田暁生「音楽の聴き方」)、〈私が「熟練の腕」を発揮しても彼/彼女らの・・・〉(平田文夫「ジャガーノート」[〈全逓文学〉五〇周年作品集])。ぼくにはさして違和感はない。むしろ納得感のほうがつよい。たとえば焼酎の呑み方に関して〈湯割り、水割り、ロック〉とするか〈湯割り・水割り・ロック〉とするか、「、」「・」の使い分けには躊躇するところがあった。古い小説には「ごろくにん」を〈五六人〉と表記していたりする。「ごじゅうろくにん」ととられることを避けて、さて〈五、六人〉とするか〈五・六人〉とするか。そこで〈五/六人〉〈湯割り/水割り/ロック〉だ。 出前コンサート 10月に開成時代の旧友によばれて福島県飯舘で『「かあさんの歌」コンサートinいいたて』(こんなタイトルははじめて。「歌のある風景」のはずだったのに。客寄せのためだろうと黙認した)。ついでにとこちらが東北のアコーディオン仲間に売り込んで、翌日は秋田県大曲で「歌のある風景」。どちらも100人を越えた。はじめての地域でははじめての人々と"音楽現場"を構築するのは、緊張感もあるがそれなりの充足感もある。疲れるが、楽しい。アンコールのあとに贈られたものの違いは記して起きたい。飯舘は花束、大曲は米と酒。ぼくの暮らし、あるいはぼくの音楽活動との距離の遠近による結果だろう。11月、ある俳句結社の『創刊30周年記念「山繭」全国俳句大会』で三重県伊賀。伊賀は忍者の里との認識はあったが、松尾芭蕉や横光利一の生まれた里とは知らなかった。第2部の祝宴で「歌のある風景」。酒席での受け持ちはなかなかつらいものがある。(9月の「労働者文学会結成30周年記念の集い」でも出番は第2部パーティーだったが、ぼくと参加者との距離はまるで違っていた)。-まるで話がかわるが、10月の福島から秋田への移動で分かったこと。(山形)・秋田新幹線は福島に停まらない! 仙台で乗り換えた。
NO.17/2009.10.5 より抜粋   いつのまにやら・・・・ 変な夏だった。中国地方の梅雨明けは8月に入って。その直後に台風9号。梅雨のあいだも牛窓はほとんど雨は降らず、降っても連日のいうことはなかった。梅雨明けのあとも、真夏日はあっても猛暑日はなく、いつのまにやら秋。
8月末のある明け方、冷気を感じて窓を閉めたが、その日の「天声人語」に<きょうは暑さがやむとされる節目、処暑>と。23日だった。そうかと思えば、つい最近の9月末には真夏日が数日続いた。今年、燕が遅くまで飛んでいた。赤とんぼをほとんど見かけなかった。今や気候・気象・自然に関して「平年並」はなくなったといえよう。これ「地球温暖化」の影響か。
と、ここで、かつて書評に取り上げた塩田丸男『マユツバ語大辞典』を想起した。本によれば、1988年に設立された<地球の気候異変に対応する国際的機関のIPCC>の正式名はIntergovermental Panel on Climate Chang, <直訳すれば「気候変動に関する政府間パネル」>。「温暖化」よりは「気候変動」のほうがマシだ。これなら、たとえば「いつのまにやら秋」も説明がつく。「平年並」の消滅も裏付けされる。
秋となれば「牛窓文化月間」。今年はNO.19、19年目になる。さいわい「平年並」の文化月間となった。来年は牛窓文化月間20年。そこで打ち止め、終結してはどうかと、討議用のメモを作成し配布の準備をおえた。来年度始動の7月までには結論を出す。それなりの役割は果たした、の思いがつよい。 住む、暮らす 「いつのまにやら・・・」の項を書きながら(打ちながら)、ふと思った。東京にいた頃は「住む」でしかなかったなあ、と。「食う、寝る」だけとはいえぬが・・・。牛窓に移ってからは「暮らす」だなあ、と。日の出時間の移ろいを実感し、たらの実の到来を待ちのぞみ・・・
NO.16/2009.6.15 より抜粋  風を切る 陽気がよくなってきて、Dioに乗るのが苦痛ではなくなった。バイクはもろに風があたるので、冬はつらい。「Dio散歩」と称して用もなくただただ走る。ときどき、日に30㎞~40㎞ほど走る。原付の制限速度は時速30㎞だが、もうちょいスピードを上げて走る(ヤバイので数字は伏せる)。「風を切る」という実感がある。走っていると、発想というか思いつきというか、いろいろ浮かぶ。 Dioの燃費は1㍑あたり40㎞くらい、収穫に比したら安いものだ。 ダンベル 近頃アコーディオンを弾いていて、体力というか筋力というかの衰えを感じるようになった。特に腕の力。で、おしのが買ったままにしている重さ1㎏のダンベルを両手に握って上げ下げしたりしている。いつかラジオで、アコニストのkobaが毎日腕立て伏せなど筋力トレーニングをしているというのを聞いて「へえー」と思ったことがあったが、今にして頷ける。 前号「庭記」で、〈藤が例年より早めの三分咲き〉と書いたが、燕の飛来も早かった。高校時代に書いた詩を思い出した。〈風が/燕を/ピューッと/吹き飛ばした//早い/早い//もう/ぽっちりと/黒い点〉。「自由空間DON」の軒先に巣をつくりそうだったので、一週間吹きガラスの展示をしていた人に追っ払ってもらった。人の出入りが多いので。一方、鳩が藤棚に巣をつくったが、これは許容した。 言葉あれこれ はじめて触れた言葉に「紫女」「清女」がある。〈「行文流麗、才気煥発、、まさにそのかみの紫女、清女とその文藻を競うものといっても、敢えて過言ではないであろう」と、「下田歌子先生伝」は書いている。歌子もここでは紫式部、清少納言に伍した才媛となった〉(松本清張『対談 昭和史発掘』所収「番外篇ー政治の妖雲・穏田の行者」)。もっとも辞書(講談社『日本語大辞典』)にあたったら、「紫女(しじょ)」「清女(せいじょ)」もあった。辞書といえば、なにかの文章で「左」を辞書で引くと面白いとあった。新明解国語辞典:アナログ時計の文字盤に向かった時に、七時から十一時までの表示のある側。日本語大辞典:空間を縦に割ったときの一方の側。南に向かうと東にあたるほう。また、ふつう心臓のある側。広辞苑:北を向いたとき、西にあたる方。それぞれはじめの記述だけ記した。ふつうは辞書を引くこともない"あたりまえ語"の説明は確かに面白い。男:人間のうち、雄としての性器官・性機能を持つ方(新明解)。悪乗りしてみました。みなさんもお試しを。 お出かけ予定 9.4~6=全国アコ合宿(伊東市)、10.23=歌のある風景(福島県飯舘村)、11.21~22=歌のある風景(伊賀市)。その前後のコンサート、呑み会のお誘いを待ちます。
自遊空間DON
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